毎週日曜23時からNHK総合テレビで放送されている韓国時代劇『不滅の恋人』。
15世紀の朝鮮王朝に実在した首陽(スヤン)大君とその弟・安平(アンピョン)大君の対立をモチーフにしつつ、その対立構図に1人の女性を加え、ラブストーリーの要素を軸にしながら展開していく史劇ロマンスとなっている。
先週は国王が倒れ、世継ぎの話が出た。王の後継者をめぐる展開になるわけだが、そもそも当時の朝鮮王朝において“王”とはどんな存在だったのだろうか。
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朝鮮王朝時代の法典『経国大典』には、王の権限と役割が記述されて“いない”。これは王が法を超える存在であったことを示している。王は法に拘束されるのではなく、法を作る存在なのだ。
王の権力のなかで特に重要といえるのは、人事権と軍事権だろう。朝鮮王朝は議政府(ウィジョンブ)と六曹(ユクチョ)を基盤にした巨大な行政機関が国務を担っていた。王はその人事権を握っていたため、誰に、どんな政治を、いつやらせるかまで、1人で掌握しているのに等しかった。
また軍事権においても、数々の軍事儀礼の記録を見れば、王が軍の最高権力者であることがわかる。王は大規模な軍事査閲、軍事演習などに参加し、絶対的な存在感を示した。
特に「講武(カンブ)」という軍事儀礼が象徴的だ。王が参加する一種の狩猟なのだが、多いときには3万人もの兵が講武のためだけに動員されたという。
韓国時代劇ドラマでは、ときに弱々しく描かれる朝鮮王朝時代の王だが、実際にはとてつもない最高権力者であったことは間違いない。
そんな最高権力の次代に引き継ぐこと、つまり王位継承の方法は主に3つに分類できる。
優秀な人材に王位を譲る「譲位」、王の死によって後継者が王位を継ぐ「嗣位(サウィ)」、そしてクーデターによって王を追放して継承する「反正(パンジョン)」だ。
儒教国家であった朝鮮王朝では、譲位こそが最も理想的な王位継承とされたが、朝鮮王朝27人の王のなかで、譲位で王になった人物は少ない。史実で最高の名君とされ、『不滅の恋人』の国王(イ・ヒャン)の父にあたる世宗(セジョン)が譲位で王となった代表例だが、その世宗も譲位はしていない。
朝鮮王朝時代は嗣位が最も多く、クーデターである反正は2例ある。10代王・燕山君(ヨンサングン)を追放して王となった『チャングムの誓い』の王・中宗(チュンジョン)と、15代王・光海君(クァンヘグン)を追放して王となった仁祖(インジョ)だ。
ただ、『不滅の恋人』でチュ・サンウクが演じているチニャン大君のモデルである首陽大君は、ほとんどクーデターに近い形で王位を強奪した人物との評価を受けている。
そうした史実がドラマではどう描かれるかに注目するのも、一興かもしれない。
いずれにしても、史実の知識を入れながら、『不滅の恋人』を楽しみたい。
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