古家さんは語る。
「2000年代初めには日本で韓国歌手のCDを手に入れるのがなかなか難しかった。タワーレコードやHMVなど大型レコードショップに行けばワールドミュージックコーナー内に“South Korea”という棚があって、そこにH.O.T.やS.E.S.のようなごく限られたアイドルグループのCDしか置いてなかった」
「だから月に1回身銭を切って韓国に行って、その月に発売されたCD全部買ってきた。私が韓国の音楽を聞いて韓国に関心を持ったのと同じように、音楽をきっかけに韓国と日本がもっと近づけることができるという不思議な自信があったから」
ラジオで初めて韓国音楽を流したときはクレームが殺到したが、にもかかわらず音楽に敏感なリスナーから少しずつ反応が寄せられるたびにやりがいを感じたという。
古家さんはK-POPブームの始まりをこのように説明した。
「まだK-POPという言葉がなかった90年代後半から、“カン・スジ”や“ソテジワアイドゥル”のような歌手が日本に来てはいた。
しかし、個人的には1998年に日本進出したS.E.S.が日本で活動するすべての韓国アーティストの基礎になっていると思う。
S.E.S.の進出経験はその後BoAや東方神起の成功につながったが、実は彼らと一緒にK-POPのベースになったもう1つの存在は韓国ドラマのOSTだった。
日本で大ヒットした冬のソナタのOSTは100万枚近く売れて韓国音楽の入門(窓口)の役割をし、それを聞いた人々が結果的に東方神起やピ、セブンのような歌手に関心を持った。
そのアイドルとOSTという2つの流れが徐々にミックスしながら、日本にK-POPが定着していったと思う」
約15年の韓流ブームを体感してきた古家さんが最も衝撃的だと挙げる事件は、「KARAと少女時代の日本上陸」である。