NHK総合テレビの『オクニョ 運命の女(ひと)』。4月28日の放送で最終回となった。このドラマの総まとめとして、ドラマが描いていた時代の特徴について解説してみよう。
『オクニョ』は、朝鮮王朝の1550年代と1560年代を描いていた。歴史的にいうと、当時は13代王の明宗(ミョンジョン)が統治していた。
しかし、この明宗にはほとんど実権がなかった。なぜなら、母親の文定(ムンジョン)王后が明宗の後見人として絶大な権力をふるっていたからだ。
(参考記事:『オクニョ』最終回に絶対に知っておきたい!! 「悪の女帝」たちの本当の最期)
文定王后は、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の王妃である。歴史的にも悪女としてよく知られている。
実は中宗の次に王位を継いだのは、彼の二番目の正室だった章敬(チャンギョン)王后が産んだ仁宗(インジョン)であった。
この仁宗は、中宗の長男として1544年に即位したのだが、わずか8カ月で急死している。文定王后が自分の産んだ明宗を王に就けたいがために、仁宗を毒殺したという疑いが非常に強い。
結果的に、仁宗のあとに明宗が即位して、文定王后は絶大な権力を行使できるようになった。これが朝鮮王朝にとって不幸だった。