今だからこそ知りたい!! 韓国人Jリーガー、あの人たちは“いま”

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ベルマーレ平塚や柏レイソルで活躍したホン・ミョンボがその人だ。

監督として臨んだ2009年U-20ワールドカップではベスト8、2012年ロンドン五輪では日本を下して韓国に銅メダルをもたらした“カリスマ”は、2013年7月に韓国代表監督に就任。

2014年ブラジル・ワールドカップで韓国代表を指揮した。

だが、そのブラジルW杯では0勝2敗1分に終わり、容赦ない非難にさらされて辞任。

2016年からかつて岡田武史やフィリップ・トルシエも采配を振るった中国の杭州緑城で監督としての再起を目指したが、成績不振を理由に2017年5月にその職を解かれた。

プロの世界は結果がすべてだが、ホン・ミョンボは指導者として酸いも甘いも経験したといえるだろう(ホン・ミョンボは2017年11月にKFA専務理事に就任した)。

ホン・ミョンボ

挫折を味わった韓国人Jリーガーは?

もっとも、指導者の苦味を味わっているのは、チェ・ヨンスやホン・ミョンボだけではない。

かつて横浜Fマリノス黄金時代を支えたユ・サンチョルは、2011年7月から大田シチズンの監督を務めたが1年5カ月でその座から退き、蔚山大学の監督などを務めた。

ユ・サンチョル

ヴィッセル神戸で“親分”の愛称で親しまれたハ・ソッチュも全南ドラゴンズの監督を2年間務め、現在は母校・亜州大学サッカー部の監督だ。日本同様に、韓国でも有名サッカー選手だからといって無条件でKリーグの監督ポストが用意されるわけではないのだ。

タレントとして人気爆発中なのは?

そのせいだろうか。最近はテレビ局なインターネット放送のサッカー解説者として“第二のサッカー人生”を送っている者たちも多い。

例えば大宮アルディージャで活躍したイ・チョンスは2015年11月に引退後、ケーブルテレビ局『JTBC』のサッカー解説者に転身。バラエティ番組などにもよく出演している。2019年からはKリーグ仁川ユナイテッドの強化部長に就任した。

イ・チョンス

サッカー解説者として最も成功している韓国人Jリーガーは、アン・ジョンファンだろう。

かつて清水エスパルスや横浜Fマリノスで活躍した“韓国のファンタジスタ”は、2012年1月に現役を引退した後、民放テレビ局MBCのサッカー解説者となり、2014年ブラジル・ワールドカップ中継で解説者としてブレイク。

Jリーグでプレーした経験もあることから、日本に対してかなり辛口で、それが韓国でも話題になり、最近はサッカー中継だけでなく、バラエティ番組にも引っ張りだこにもなっている。

しかも、近年は韓国の料理バラエティ『冷蔵庫をお願い』、旅バラエティ『パッケージで世界一周』、歴史バラエティ『私心充満!!オー好男子』といった番組でレギュラーMC(司会者)を務めているほどだ。

アン・ジョンファン

軽快な話術と興味深いエピソードを絶え間なく披露し、今や元サッカー選手という肩書も不要なほど、完全にタレント化している。10代の若い視聴者のなかには、彼が韓国人初のセリエA進出選手で、2002年W杯でも大活躍したことを知らない者もいるほどだというのだから、面白い。

消えた韓国人Jリーガーは今、どこへ!?

面白いといえば、アン・ジョンファンと入れ替わる形で清水入りし、ガンバ大阪でもプレーしたチョ・ジェジンだろう。

2010年冬に29歳の若さで現役引退した二枚目ストライカーは引退後、各種テレビ局からタレント転身を打診されたが断って、実業家に転身。日本のゴルフクラブ・デザイナーであるジョージ武井氏プロデュースの『GTDドライバー』の輸入販売から始め、現在はアパレル関係の販売業も手掛けている。

実業家とゴルフというキーワードは、韓国人Jリーガーの草分け的存在であるノ・ジョンユンにも当てはまる。

2006年4月に現役引退したノ・ジョンユンは、一時期、韓国のオンラインゲーム会社『アンドロメダ・ゲームズ』の顧問に就任。ゲーム事業に乗り出したことがあった。

ただ、それが長続きすることはなく、2007年から家族とともにアメリカ・ロサンゼスに移住。

筆者は、2008年9月に行われた韓国サッカー協会設立75周年記念・日韓OB戦に出場するために韓国に戻っていたノ・ジョンジュンと会食したのだが、「韓国とアメリカを行ったり来たりです。アメリカでは娘の学校の送り迎えをしたり、ゴルフをしたりしています」と笑っていた。

その後、韓国でもパタリと消息が少なくなったノ・ジョンユンだが、一説によるとロサンゼスでSGTF(United States Golf Teachers Federation)の資格を取得し、ティーチングプロに転向したという噂もあるが、はたして……。

韓国人Jリーガーの出世頭パク・チソンは?

いずれにしてもノ・ジョンユンに限らず、日本で活躍した韓国人Jリーガーのその後の進路は多岐に渡るわけだが、最近で最もインパクトがあったのはパク・チソンが選んだ“第二のサッカー人生”ではないだろうか。

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