城南(ソンナム)FCのベテランGKキム・ヨングァン(36)が偉業を成し遂げた。
去る6月7日の大邱(テグ)FC戦出場で、Kリーグ史上5人目、GKとしては3人目となる通算500試合出場を達成したのだ。
2002年に全南(チョンナム)ドラゴンズでプロデビュー以降、蔚山現代(ウルサン・ヒョンデ)FC、慶南(キョンナム)FCなど国内を渡り歩いたキム・ヨングァン。
昨冬のソウルイーランドFC退団以降は今後の去就に悩んだこともあったようだが、元Jリーガーのキム・ナミル監督率いる城南FCに迎え入れられて、悲願の500試合出場という大記録を達成した。
今年でプロ19年目を迎え、同じポジションの大先輩であるキム・ビョンジ(706試合)やチェ・ウンソン(532試合)が歩んだ道を追った喜びはかつてないほどに大きかった。
しかし、自身の存在を忘れずに真っ先に連絡してくれた後輩にも、キム・ヨングァンは感激したようだ。
6月9日に炭川(タンチョン)総合運動場で本紙『スポーツソウル』の取材に応じたキム・ヨングァンが、自身を祝ってくれた後輩に感謝を述べた。
まず、今シーズン11年ぶりに母国復帰し第5節MVPにも輝いたイ・チョンヨン(31・蔚山現代)が、お祝いのメッセージを送ってくれたようだ。「チョンヨンとは代表で親しく接した。大変なことがあればお互いに励まし合った記憶もある。本人も新天地で落ち着かないはずなのに、気を使ってくれてありがたい」とキム・ヨングァンは話す。
イ・チョンヨン以外にも複数の後輩から連絡を受けたというキム・ヨングァンだが、特に昔の記憶をたどらせたのがキム・スンギュ(29・柏レイソル)だという。
キム・ヨングァンにとって、キム・スンギュはある意味“愛憎の関係”だ。
蔚山現代ユースである現代中と現代高出身のキム・スンギュは、2008年から蔚山現代トップチームに合流した。
しかし、同じポジションには2度のワールドカップ(2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会)出場を経てトップクラスのGKと呼ばれたキム・ヨングァンがいた。その存在によって、キム・スンギュは日の目を見られずにいた。
だが、キム・スンギュが2013年にキム・ヨングァンが負傷した間にチームの主力GKへと飛躍すると、同年8月のペルーとのA代表マッチで目覚ましい好セーブを披露。たちまち代表チームでも地位を高め、2014年ブラジルW杯以降は“キム・スンギュ時代”が幕を開けることになった。
キム・ヨングァンは後輩の急成長の波を受け、2014年シーズンは慶南にレンタル移籍。2015年シーズンからソウルイーランドに移籍し、舞台を2部に移した。そして今シーズン、城南への加入によって5年ぶりに1部の舞台へと戻ってきた。
キム・スンギュの存在がキム・ヨングァンのサッカー人生に大きな影響を及ぼしたのは事実だが、キム・スンギュに最も大きなインスピレーションを与えたのもキム・ヨングァンである。
キム・スンギュは初めて主力GKとして活躍した2013シーズン、ベストイレブンに選ばれた際に「サッカーをしながら、ヨングァン兄さんは最も似たい選手だった。まだ僕にとっては一番大きい選手だ」と語ったことがある。
この思いは今も変わっていない。キム・スンギュのロールモデルは“クモの手キム・ヨングァン”なのだ。去る2015年シーズンのFAカップで対戦したときには熱い抱擁も交わした。
キム・ヨングァンは「スンギュが高校を卒業してすぐにプロ入りしたじゃないか。(当時の彼は)瞬発力向上に必要な部分など、私にあらゆる質問をする後輩だった」と振り返った。
そして、「私が負傷したときにチャンスを得たスンギュが、本当に歯を食いしばって準備しているのを感じた。私にとっては痛い時間だったが、正直に言って悔しくなかった。なぜなら、スンギュが怠けている時を一瞬も見たことがないからだ。本当に熱心にプレーしているのを見たから認めることができた」と笑った。
キム・ヨングァンが500試合出場を達成したとき、キム・スンギュは「ヨングァン兄さん、今日もお疲れ様でした。500試合おめでとうございます!」と笑顔の顔文字をつけてメッセージを送ったという。
現在はJリーグでプレーする後輩からの祝福に「スンギュは海外にいるにもかかわらず私の活躍を見守ってくれて、真っ先に祝ってくれたから、“自分は無駄に生きたわけではないのだな”と感じた」と感謝を述べたキム・ヨングァンは、「私もスンギュの未来を応援している」と激励の言葉を残した。
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