かつて日本で活躍した“韓国人Jリーガー”は、今どこで何をしているのだろうか。
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1993年のJリーグ開幕以降、日本では多くの韓国人選手がプレーしてきた。2008年にアジア枠が設けられてからはその数もさらに増加。その系譜は今も続いているが、気になるのは“彼らのその後”だ。
引退した韓国人Jリーガーたちのその後は、日本ではなかなか知らされない。
調べてみると、Kリーグで監督やコーチを務める者もいれば、芸能化に進出した者、さらには現役時代からは想像もできない新たな道に進む者もいて興味深い。
今回は韓国代表として3度のワールドカップ出場を誇り、ヴィッセル神戸などでも活躍したキム・ナミルについて。なんと、現在はカリスマ監督として評価を高めていた!!
ディフェンス能力の高いボランチとして韓国はもちろん、日本でも活躍したキム・ナミル。
漢陽(ハニャン)大学時代の1998年バンコク・アジア大会でA代表に抜てきされ、2000年にプロデビューしてからも全南ドラゴンズで活躍。
負けん気の強さと労を惜しまない守備力は当時の韓国代表監督だったフース・ヒディンク監督からの評価も高く、2002年ワールドカップではレギュラーに抜擢。容赦ないチェックで瞬時にピンチを摘み取ることから“真空掃除機”とも呼ばれ、韓国代表史上初のベスト4進出にも大貢献した。
その後、オランダ・エールディビジのエクセルシオールやKリーグの水原三星ブルーウィングスでのプレーを経たキム・ナミルは、2008年からヴィッセル神戸に移籍して日本のJリーグ進出を果たす。
当時のキム・ナミルは31歳とベテランの域に差し掛かっていたが、持ち前の親分肌の性格もあってチームに溶け込み、2009年シーズンまでの2年間でリーグ通算54試合に出場。神戸では、「兄貴」を意味する韓国語の“ヒョン”というあだ名で広く親しまれた。
2010年から2シーズンはロシアのFCトム・トムスクで、2012年からは仁川(インチョン)ユナイテッド、2014年には全北現代(チョンプク・ヒョンデ)とKリーグでプレーしたキム・ナミルはその後、2015年シーズンにJ2の京都サンガF.C.へ加入。6シーズンぶりに日本に復帰した。
京都では監督交代の余波もあり出場機会に恵まれなかったものの、リーグ終盤に残留を決定づける値千金のゴールを決め、キャリア晩年にベテランの意地を見せた。
シーズン終了後、2016年1月12日にキム・ナミルは契約満了に伴い京都を退団。そして、同年4月26日に引退を発表した。
現役を退いたキム・ナミルは指導者ライセンスを獲得し、2017年2月に中国スーパーリーグの江蘇蘇寧のコーチに就任。本格的に指導者キャリアをスタートさせる。
5か月後の2017年7月には韓国代表コーチに抜擢され、当2018年ロシア・ワールドカップを経験。ワールドカップ後の2019年シーズンには古巣の全南ドラゴンズでコーチを務めた。
そして今シーズン、キム・ナミルは前年度Kリーグ1(1部)9位の城南FCからオファーを受けて監督に。今季Kリーグ1で監督初挑戦なのはキム・ナミルただ一人である。
監督経験ゼロのキム・ナミルに対して周囲からは不安の声も多かった。だが、キム・ナミルは監督就任会見で彼らしく強気に宣言している。
「プレッシャーはある。だが、経験不足に対する心配は結果で証明する。評価はシーズン終了後にされるもの。監督就任の提案を受けたとき、もし自信がなかったら断っていたはずだ。自信があったから承諾したんだ」
そしてその言葉通りキム・ナミルは、Kリーグ開幕戦で有言実行を果たす。5月9日の第1節光州FC戦を2-0で勝利し、勝ち点3を獲得。監督デビュー戦を白星で飾った。
「ピッチに一歩足を踏み入れたら、選手たちにはアイデアを出して創意的なプレーをしてもらいたい。選手には自由なプレーをしてほしいと思っている」と語るキム・ナミル。
城南のチームカラーである黒色のスーツをパリッと着こなしてベンチに陣取り、鋭い表情で戦況を見つめる姿からついだあだ名は“韓国のシメオネ”。
本家のディエゴ・シメオネは、アトレティコ・マドリードを見事に復活させたが、はたしてキム・ナミルはファンやメディアの期待通り、名実ともに“韓国のシメオネ”になれるだろうか。
今年で43歳になる親分肌の青年監督の今後に注目したい。
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