かつて日本で活躍した“韓国人Jリーガー”は、今どこで何をしているのだろうか。
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1993年のJリーグ開幕以降、日本では多くの韓国人選手がプレーしてきた。2008年にアジア枠が設けられてからはその数もさらに増加。その系譜は今も続いているが、気になるのは“彼らのその後”だ。
引退した韓国人Jリーガーたちのその後は、日本ではなかなか知らされない。
調べてみると、Kリーグで監督やコーチを務める者もいれば、芸能化に進出した者、さらには現役時代からは想像もできない新たな道に進む者もいて興味深い。
今回は、清水エスパルスやガンバ大阪で活躍しながらも、29歳と若くして現役を退いたチョ・ジェジンの引退後と現在を紹介しよう。
1981年7月9日生まれのチョ・ジェジンは高校卒業後、2000年にKリーグの水原三星ブルーウィングスでプロデビューを飾った。
ただ、当時の水原三星は常勝チームにしてスター軍団。まだ若かったチョ・ジェジンの出番は少なく、今一つ伸び悩んでいた感も否めなかったが、2004年に日本に進出してからその才能が花開くことになる。
2004年7月に清水エスパルスへと加入したチョ・ジェジンは、185cmの長身を生かしたポストプレーでチャンスを作り、競り負けないヘディングと強烈なミドルシュートで得点を量産。2ndステージ12試合で7ゴールを挙げる活躍を見せた。
その後、2007年まで清水の主力ストライカーとして活躍し、4年間でリーグ通算91試合42ゴールを記録。2008年に全北現代モータースに移籍して一旦はJリーグを離れるが、ガンバ大阪に移籍してふたたびJリーグに戻ってきた2009年には25試合10ゴールの活躍を見せた。
Jリーグでの活躍から一時はプレミアリーグ進出も噂されたチョ・ジェジンだったが、2011年3月に突然の現役引退を発表。
当時、29歳と早すぎる決断に多くのサッカーファンが驚きを隠さなかったが、引退決断の背景には先天性股関節異形成という、激しく身体を動かすサッカー選手としては致命的な病気に原因があった。
痛みをこらえながらもプレーを続け、さまざまな治療も試したものの、無理な関節の酷使によってチョ・ジェジンの身体は悲鳴を上げていたのだ。それが30代目前での現役引退を迫る一番の要因となった。
興味深いのは、チョ・ジェジンがその後に選んだ道だ。
引退後、チョ・ジェジンは芸能界からタレントへの転身を打診されるもラブコールをすべて断り、実業家への転身を決意する。
日本のゴルフクラブ・デザイナーであるジョージ武井氏プロデュースの『GTDドライバー』の輸入販売から始め、アパレル関係の販売業も手掛けた。
2012年2月にはチェリストとの結婚を発表。息子と娘を一人ずつもうけ、現在は京畿道の南陽州(ナミャンジュ)市で暮らしている。
かねがね「自分の名前が付けられたサッカーアカデミーを作ることが夢」と語っていたチョ・ジェジンは2019年11月、南陽州市に念願のサッカースクールをオープン。「チョ・ジェジンサッカー教室」と名前を冠し、後進の育成に励んでいる。
3つの室内フットサル場からなる施設には、水原三星とガンバ大阪の“ブルー”、全北現代の“ライトグリーン”、清水エスパルスの“オレンジ”が各所に施されるなど、古巣への愛も込められている。
スクールコーチとして活動する傍ら、韓国のテレビ番組にもときおり出演。また南陽州市の広報大使としても精力的な対外活動を広げている。
チョ・ジェジンは現役時代、サインを求められた際にときたまこんな言葉も書いていたという。
「僕はボールを蹴るのではない。90分間リズムに乗るんだ。不可能、それは何でもない」
恵まれた体躯と得点能力で観客を沸かせる一方、痛みとも戦い続けたチョ・ジェジン。選手生活の結末はあまりに早いものとなってしまったが、今は第二のキャリアを謳歌しているようだ。
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