朝鮮王朝を震え上がらせた、“告発書”の中身とは?

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20代王の景宗(キョンジョン)は1724年に亡くなり、異母弟が後を継いで21代王・英祖(ヨンジョ)となった。このとき、「英祖が兄を毒殺したのではないか」という噂が出て、国中が大騒動に巻き込まれた。

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というのは、景宗が病床に臥せっているとき、主治医が「いけません」と反対したのに英祖は景宗にカニと柿と人参茶を差し出した。これらは食べ合わせが悪かった。結局は病状を悪化させる原因になったと推定されている。

英祖は自分にとって都合の悪い噂を必死に打ち消すが、深刻な反乱が起きる。その反乱の告発書には「英祖は粛宗の子供ではない」「英祖が景宗を毒殺した」と書いてあった。まさに衝撃的な内容だったのである。

何をもって英祖が粛宗の息子ではないというのだろうか。

実は、朝鮮王朝時代に「顔相」という顔の相を見る専門家がいたが、その専門家が見ても英祖は少しも粛宗に似ていなかったそうだ。それが疑惑の根拠になった。

ドラマ『ヘチ』で英祖に扮した俳優チョン・イル

反乱は鎮圧されて、英祖はその噂を完璧に打ち消すのだが、その過程でかなりの人が処罰された。

仮に英祖が粛宗の子供でないとすれば、誰の子供なのだろうか。

たとえば、実母の淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ/ドラマ『トンイ』の主人公)と愛人関係にあったという噂もある金春沢(キム・チュンテク/当時の主流派閥の黒幕)の子供ではないか……。

そういう推理も成り立つ。

もしそうであるならば、朝鮮王朝の王の系統が景宗までで途切れて、それからは金春沢の血筋になってしまう。これは恐ろしいことである。

今となっては、真実は闇の中なのだが……。

(文=康 熙奉/カン・ヒボン)

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