江原道・寧越(ヨンウォル)に幽閉された朝鮮王朝第6代王・端宗(タンジョン)が死去した後、自分の命をかけて葬儀を行った厳興道(オム・フンド)に関連した古文書が、国に寄託された。
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韓国の国立中央図書館は11月26日、寧越厳氏・光順門宗親会が厳興道と関連した完文(官府から発行された文書)をはじめ、厳興道の手紙、寧越厳氏の族譜(チョッポ:家系図)など4点を寄託したと伝えた。
父で前王の文宗(ムンジョン)が死去し、1452年に11歳の若さで王となった端宗。すると端宗の叔父にあたる首陽(スヤン)大君(後の世祖)がクーデターを起こし、幼い王を補佐するという名目で政権を握った。
首陽大君が王族や重臣らを次々と幽閉していくと、身の危険を感じた端宗は1455年に王位を明け渡した。その後、端宗派の家臣たちが反乱を起したが敗れ、最終的に端宗は庶民の地位に落とされた。そして寧越で死を強要され、1457年に死去した。
王に反逆したことになる端宗の遺体は担い手がいなかったが、寧越の役人だった厳興道が葬儀を行い、身を隠しながら生きたという。
それから300年近く過ぎて、兵曹(ピョンチョ:朝鮮王朝時代に軍事や公文書の伝達を担った役所)は1733年、厳興道の子孫に完文を伝達し、彼の忠義を称えた。
横205cm、縦37.4cmの完文には、厳興道の子孫の軍役と雑役を免除するという内容が盛り込まれている。
国立中央図書館は、厳興道の子孫が寄託した文化財を大切に保存し、デジタルデータで研究に活用できるようにすると発表した。
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