『82年生まれ、キム・ジヨン』を「同じ女として不快」と一蹴した女子アナが議論に

2019年10月29日 映画
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フェミニズムについて正確には知らないが、あえて私の考えを書く。

女として産まれて生きてきながら、この映画のように男女が不平等で、何事も不当で悔しいと思って生きることは、憂鬱そうだという思いがした。

学校通うときも、なぜきれいなスカートを着ることができるのかと考えればいいのに、着られないと考え、男と同じズボンを履きたいと考えるのかがわからない。

職場でも男性職員たちが良く接してくれて。海外旅行に行っても荷物も全部持ってくれ、ドアも開けてくれ、食事もおごってくれ、プレゼントもたくさん買ってくれ、かわいい所にも連れてってくれ、かわいい服もたくさん着られて。

女として生きながら、十分な扱いを受けて幸せに楽しく生きている人も多いのに、否定的なところだけに注目して作った映画だと思う。女性をすべての被害者のように描いているようで、同じ女として不快だった。

私は梨花女子大を出たのだが、学校に通っていたときも、そもそも男と女で違って産まれてきたのに、正当な平等ではなく“異常な平等”を叫びながら戦うフェミニストたちが本当に理解できなかった。

何かの本で読んだのだが、男女関係でスマートな女性は、男に腹を立てたり傷つけたりするのではなく、どれだけ大変だったのかと心配してあげて、愛嬌良く抱きしめてあげると。それが男をリードできて、愛される方法だとあった。

フェミニストは女性の権力を知らない人たちのようだ。

愚かな女の特徴は、心の中ではデート費用は男が多く払わなければならず、結婚するときの家は男が用意しなければならないと考えながら、男が自分自身を悪い夫、または感謝を知らない男と考えるように作り、関係において“成功”だと考える。

いずれにしても私の考えは、すべてのことは両面があるものだから、(男も同じく)女に産まれて良かった点を見て、幸せに生きるほうがいい。毎日不当で不満で怒りが沸く気分では、私は疲れるし生きていけない。

きれいで幸せで楽しい心で生きれば、二度と帰ってこない一日一日のすべてがきれいに見えて、幸せだ。単に個人的な私の考え!

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