彼女はアイコンだった。ある人たちは彼女をけなして不満をぶつけたが、僕は彼女を英雄だと思っていた。個人の自由、表現の自由を果敢にさらけ出す新、新、新世代のアイコン。かび臭い骨董品の匂いに満ちた過去の倫理綱領を痛快に蹴飛ばす勝利のゲーマー。おせっかいや干渉、自己検閲の間をうろつく迷える子羊を救いにきた天使。
僕は彼女のことが、たまらなく好きだった。
天使のような微笑みはもちろん、ブランドのイベント会場で見せた型に嵌め込まれ、仮面を被ることを拒否するような態度も。物議の塊である僕の腰になんの躊躇いもなく手をまわし、ポーズをとってくれた。そんな堂々とした姿が好きだった。それでも彼女は“ソルリ”という作者不明の仮面を被らざるを得なかった、綺麗で清らかな魂の持ち主だった。皆が手に余るような名前を持つ存在のまま生きていくように、ソルリもそのように生きた。
一方で、誰も持てないような勇気をもって偉大な人生を生きてきた。
僕は時折、彼女を欺いた。僕は彼女の後ろに隠れた大衆の1人だった。大衆であることが楽だった。彼女が行き来する境界のようなものを、僕自身も綱渡りしていた。にも関わらず、僕は彼女を崖っぷちに1人にした。
その存在を勝手に想像して、誤解して、判断した。死を決して自分自身を疑うこともあったけど、結局はそれだけ卑しい人間だった。
彼女には病人扱いされなければならない理由も、英雄として背を向けなければいけない理由もない。“彼女”という修飾も、“ソルリ”という名も彼女のすべてではない。
ジンリ。そしてその名の向こう側の存在。自由に向けた抵抗を全身で、自らの人生をもって実践した人。そして、僕が知るよりも3億倍は多いであろうジンリの真実。彼女の心。
事実なのか? 死体ではない画面上の記事をいくつか見ただけで、僕は身勝手に、自分勝手に書く。画面で、画面上で。