10月14日、故ソルリの突然の悲報は、ポータルサイトやSNSを通じて速やかに広まった。
生前は様々なイシューを作り出し、“アイコン的”存在となっていたソルリの影響力を改めて実感できる。
そしてソルリは、我々に悪質コメントや芸能人のメンタルヘルスなど様々な課題を残してくれた。
25歳でこの世を去ったソルリ、生前の雄姿に再び称賛の声。「悪質コメントに殺された」と関係者
その課題の一つが、事件・事故や葬儀場を取材をするマスコミの報道姿勢である。
ソルリの悲報が広まる中、今回もマスコミの間違った報道姿勢が世間に晒された。
数多くのメディアが大した意味のない記事を量産し、リアルタイム中継に乗り出た。未確認情報や推測記事も登場した。
「NAVER」のような大型ポータルサイトを通じた記事配信がこのような奇形的な形を生み出したが、メディア内部でも責任を負うべきという自省の声も出ている。
特に、今回はソルリの遺族がすべての葬儀過程を非公開で進め、弔問客の取材も望まないと明らかにしたにもかかわらず、詳細を公開してしまい物議を醸したメディアも登場した。
今回の件でもマスコミの素顔が明らかになった中、葬儀場の取材も改めて考える必要がある。
わずか10年前には芸能人の葬儀場に多くの記者が集まって、弔問に訪れた芸能人をまるでレッドカーペットのように撮影し、今の心境を問うなど度を越した取材が横行した。過熱された取材競争のせいで遺族はもちろん、弔問客に迷惑がかかることで批判の世論が高まったものである。
それによって写真記者たちは、SG Wannabeの故チェ・ドンハさんが死亡した2010年を皮切りに、「写真共同取材団」を作って共同取材の形を取っている。
遺族や弔問客の顔は撮影せず、遺族の意向によっては遺影や案内板、遺体安置所のスケッチ撮影も一切していない。
ただし、取材記者の場合は今も遺体安置所に行くことが多く、許可があればフォトライン内で動画取材を行うこともある。しかし、時折このルールを破る場合も発生しているし、出棺の場面は今も昔のやり方で取材が行われている状況だ。
葬儀場の取材文化がいい方向へ変わっているのは確かた。しかし、葬儀場の取材慣行だけでなく、葬儀場の取材そのものについても改めて考えなければならない。
故人の最後を見守りたいという大衆が存在すると同時に、葬儀場の取材そのものは無意味という意見も存在する。
今回をきっかけに、葬儀場の取材に対するより明確な報道基準が作られ、よりポジティブで生産性のある方向へ変化することを期待する。
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