正祖(チョンジョ)の生涯を描いた名作『イ・サン』には毒殺説がまったく出てこない。
韓国で「正祖毒殺説」はあまりに有名なのに、イ・ビョンフン監督は毒殺の疑惑をドラマの中に出さなかった。それは、なぜなのか。
史実を見ると、1800年6月に正祖は急に高熱を発して亡くなった。
そのとき、王宮の中では「貞純(チョンスン)王后によって毒殺された」という噂が流れた。
この噂には十分な根拠があった。というのは、正祖が亡くなることで貞純王后は得るものが多かったのだ。しかも、たった1人で臨終に立ち会っており、そのことがまた様々な憶測を生んだ。かぎりなく「黒に近い灰色」というのが正祖の側近たちの実感だ。
貞純王后は正祖の祖父である英祖(ヨンジョ)の二番目の正室。宮中で暗躍した女性であり、正祖の父の思悼世子(サドセジャ)の餓死事件でも裏で動いている。
そんな貞純王后は、正祖が亡くなったあと、やりたい放題だった。正祖の息子が10歳で23代王・純祖(スンジョ)として即位したが、未成年であったために、貞純王后が王族の最長老という立場で摂政をした。
すると、彼女は正祖が重用した大臣たちをやめさせて、正祖が進めていた改革をつぶしてしまった。それだけではない。政敵にカトリック教徒が多いという理由で、貞純王后はカトリック教の大弾圧を行なって多くの人を虐殺した。
結局、貞純王后は摂政を4年間行なって1804年に隠居し、翌年の1805年に他界した。
そのあとの朝鮮王朝は、外戚(純祖の正室の実家)が政治を牛耳り、近代化が遅れて衰退への道を突き進んだ。正祖がもう少し長生きして政治改革をやりとげていれば、違う道をたどることができたのに……。
実際、正祖は常に貞純王后を警戒していた。
真相は藪の中だが、状況証拠を積み重ねていくと、やはり貞純王后が正祖の命を狙ったと推理しても不思議ではない。なんといっても、正祖が世を去って一番恩恵を受けたのが貞純王后だという事実は大きい。しかも、彼女には一番の動機があった。
意外なことに、ドラマ『イ・サン』には毒殺説がまったく出てこない。
それは、「イ・ビョンフン監督の作品は、主人公の成長を描くサクセスストーリー」ということが関係している。
苦しい境遇から自分の努力と才覚で成長していく主人公を描くのがイ・ビョンフン監督のスタイルだ。
しかも、主役のイ・ソジンが堂々とした演技で正祖に扮したことで、『イ・サン』は名君の壮大な一代記として成功した。
それなのに、最後に毒殺疑惑を取り上げると、ドラマが悲劇で終わってしまう。そうしたくないという意図があって、イ・ビョンフン監督はあえて毒殺説を取り上げなかったのである。
(文=康 熙奉/カン・ヒボン)
前へ
次へ