おおよそ7時過ぎから官吏と接見した。その場に参加する40人ほどの実務官吏から国政の現況を聞き、あらゆる決定を王が下した。
その後の10時前後にきちんとした朝食をとると、今度は秘書の役割を担う「承政院(スンジョンウォン)」から業務報告を受ける。王命はここを通じて下されるため、王は毎日のように承政院の官吏らと会う必要があった。
正午になると昼食をとり、再び講義を受ける。その後も地方官吏からの報告書を見たりした。
王が日中に行う業務を「萬機(マンギ)」と呼ぶのだが、その由来は「重要な案件が1万件」にも及んだからだという。王がいかに多忙だったかを表わす言葉だ。
そして18時頃になると、再び講義(「夕講(ソッカン)」)受けて、一日の公式業務が終わる。ただ夕飯後に雑務に追われることも多く、夜食後の就寝時間は23時頃だったという。
一言で、朝から晩まで働き詰めの日常を過ごしていたわけだ。
さらに王は、慢性的な運動不足だったといわれている。
そもそもあまり歩かなかったという記録が残っているほどだ。それは王が移動するたびに何人もの臣下がついてまわらなければならない手間があり、また駕籠(かご)で移動することも多かったからだろう。
日々の激務、運動不足、一日5度の食事…と、身体への負担は相当なものだったに違いない。
そんな王の健康管理を担当したのが、『宮廷女官チャングムの誓い』などで描かれる「内医院(ネウィウォン)」だ。常に16人の医療関係者が従事していたとされているが、そのなかで王の医療行為を担当する医者は「御医(オウィ)」と呼ばれた。
『不滅の恋人』に登場するイ・ガン(チニャン大君)のモデルとなった首陽大君(スヤンテグン、後の世祖)は、自らが記した『医薬論』で“最高の医者”について書いている。
世祖が考える最高の医者とは、“心医”。つまり心を治療してくれる医者、今でいう心理カウンセラーのような医者が、王にとって最も必要な医者だったのだ。
逆説的にいえば、王は心労も多かったということだろう。朝鮮王朝時代の王の平均寿命が46歳と決して長くないのも、そんなところに理由があるかもしれない。
いずれにしても王の日常は、想像以上に大変だったことがわかる。そんな国王が倒れて危篤となった『不滅の恋人』が、今後どんな展開を迎えるのか注目したい。
(文=慎 武宏)