【韓国時代劇の基礎知識】国王を震え上がらせた5人の「鬼嫁」とは誰か?

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朝鮮王朝では国王が最高権力者だが、その国王ですら恐れたのが「鬼嫁」に該当する王妃や世子嬪(セジャビン/次代の王妃)である。それは、はたして誰なのか。

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順に見ていこう。

◆神懿(シンイ)王后〔1337~1391年〕

朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の最初の妻。高麗王朝の武将として出世街道を突き進む李成桂も、妻にはまったく頭が上がらなかった。

夫婦の間には六男二女がいたが、息子は上から芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バンウォン)、芳衍(バンヨン)だった。

このうち、芳果と芳遠が王になっている。神懿王后自身は朝鮮王朝が創設される1年前の1391年に亡くなった。

◆貞熹(チョンヒ)王后〔1418~1483年〕

7代王・世祖(セジョ)の正妻。夫が政変を起こそうとしたとき、その行動に躊躇があることを見逃さず、迷う夫に鎧を着せて気合で送り出したという逸話が残る。政変は成功し、夫は王となったが、内助の功が本当に大きかった。時代劇『王女の男』でも最後まで重要な役に設定されていた。

◆廃妃・尹(ユン)氏〔1445~1482年〕

9代王・成宗(ソンジョン)の正室。成宗の側室に嫉妬して宮中に呪いの言葉を持ち込み、さらに成宗の顔を激しくひっかいてしまった。朝鮮王朝の518年の歴史の中で、国王の顔に傷を付けたのは尹氏だけだ。

結局、1479年に廃妃となる。その果てに、1482年に死罪となった。「私の恨みを晴らしてください」と言い残したと伝えられており、息子の燕山君(ヨンサングン)はその事実を知ってから、母の死罪に関係した官僚や女性を大虐殺した。

◆明聖(ミョンソン)王后〔1642~1683年〕

18代王・顕宗(ヒョンジョン)の正妻。19代王・粛宗(スクチョン)の母。妻の明聖王后が怖くて、顕宗は朝鮮王朝の国王としては珍しく側室を持たなかったという。

明聖王后は、張禧嬪(チャン・ヒビン)の欲望に気づいて、彼女を王宮から追放したこともある。

1683年、息子の粛宗が原因不明の病にかかったとき、助けたい一心で、真冬にもかかわらず水浴びの苦行を続け、それが元で亡くなった。

◆恵慶宮(ヘギョングン)〔1735~1815年〕

22代王・正祖(チョンジョ)の母。21代王・英祖(ヨンジョ)の息子の思悼(サド)世子と結婚した。当初は夫婦も仲が良かったが、後に険悪な関係となり、恵慶宮は夫を激しく非難するようになった。

(写真提供=SBS)ドラマ『秘密の扉』ではパク・ウンビンが恵慶宮を演じた

思悼世子は父の英祖によって米びつに閉じ込められて1762年に餓死し、恵慶宮も世子嬪の資格を失った。

しかし、息子の正祖が王位にあがり、王宮内での立場を強めた。正祖亡きあとも実家の名誉回復に奔走し、1815年に80歳で世を去った。

(文=康 熙奉/カン・ヒボン)

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