今にも触れることができそうな距離感、そして公演後にはサイン会やツーショット撮影といったイベントが開催されるなど、メンバーと直接ふれあえることを売りにしている地下アイドル。日本の国民的グループとして知られるAKB48は、こういった地下アイドルコンセプトから成長を遂げており、“地下アイドル文化”はまさに日本独自の文化といえる。
現に、AKB48がブレイクした直後の2010年は“アイドル戦国時代”とされており、地下アイドルが続々と誕生してはメジャーデビュー、解散を繰り返した。
そんな“アイドル戦国時代”と呼ばれた2010年は、日本のK-POPブームと密接に関係した年でもある。
“新大久保アイドル”は、いうなれば“韓流地下アイドル”だ。中でもその元祖といえるのが、ボーイズグループKINO(キノ)だろう。日本に留学中の韓国人のみで結成された5人組グループで、“会いに行けるK-POPアイドル”というコンセプトから、常にライブ会場は超満員。その熱狂ぶりはファンから「新宿の東方神起」と呼ばれたほどだった。
そんな彼らのデビュー時期にも注目したい。
KINOがデビューしたのは2011年。2010~2011年は東方神起やBIGBANGが流行した“第2次韓流ブーム”のど真ん中だ。彼らの主な活動拠点は韓国であり、日本公演の際にはチケットの倍率の高さから会場に足を運べず、口惜しい思いをするファンも少なくなかっただろう。
そんなファンの気持ちを汲み取り、しかも日本でメジャー化しつつある劇場公演をメインにする活動方針が、KINOの成功要因だろう。“アイドル戦国時代”と“第2次韓流ブーム”という2010年の日本の音楽事情が、“新大久保アイドル”を生み出したわけだ。
ちなみに、第2次韓流ブームは2012~2014年に衰退傾向を見せたが、新大久保のライブハウスでは相変わらず行列が続いていた。ファンとの距離感が近く根強いファンが多いという地下アイドルならではの特徴も、“新大久保アイドル”が今でも人気の秘密だろう。
現在も新大久保のライブハウス「SHOW BOX」では、連日のように若き“新大久保アイドル”たちが熱いステージを披露している。前述のKINOは日本活動の後に韓国デビューを果たしたが、日本で生まれたアイドルが現地で花を咲かせる可能性があるという点もまた、“新大久保アイドル”の醍醐味なのかもしれない。
(文=姜 由奈)