韓流時代劇でやたら目立つ「5大悪女」とは誰なのか

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俗に「朝鮮王朝3大悪女」といえば、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)のことだ。しかし、この3人だけではまだ足りない。文定(ムンジョン)王后と貞純(チョンスン)王后を加えれば、朝鮮王朝を揺るがせた「5大悪女」と呼ぶことができる。

この5人を順に見ていこう。

◆張緑水(チャン・ノクス)/?~1506年

10代王・燕山君(ヨンサングン)の側室。貧しい家の出身ながら、歌と踊りを覚えて妓生(キセン)になり、燕山君の寵愛を受ける。王と一緒に遊興し、国家の財宝を着服。庶民の憎悪を買う。1506年、クーデターで燕山君が王位を追われたあと、張緑水は斬首となり、その遺体は市中にさらされた。

(写真=MBC『逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-』放送画面)

◆文定(ムンジョン)王后/1501~1565年

11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正妻。我が子を王位に就かせるため、中宗の先妻の息子だった12代王・仁宗(インジョン)の暗殺を何度も狙ったと言われている。実際、仁宗が亡くなったときも、文定王后による毒殺という噂が流れた。我が子が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位すると、代理で政治を仕切って権力を独占。干ばつで多くの民衆が餓死したが、悪政を続けて見殺しにした。

◆鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)/?~1565年

低い身分の出身だったが、妓生(キセン)になって尹元衡(ユン・ウォニョン)の妾となる。尹元衡(ユン・ウォニョン)は文定(ムンジョン)王后の弟だった。鄭蘭貞は尹元衡の妻を毒殺して彼の正妻となり、文定王后の手先になって数々の悪行に手を染めた。文定王后の死とともに失脚して自害した。

◆張禧嬪(チャン・ヒビン)/1659~1701年

19代王・粛宗(スクチョン)の側室および正室。絶世の美女であったといわれている。一介の女官から粛宗の側室となり、1688年に王子を出産。一度は側室から正室に昇格したが、再び降格。1701年には神堂を建てて王妃を呪い殺そうとしたことが発覚し、死罪となった。朝鮮王朝で最も有名な悪役ヒロインで、ドラマや映画に登場する回数は断然の一番だ。

◆貞純(チョンスン)王后/1745~1805年

21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正妻。英祖より年齢が51歳下だった。英祖の息子であった思悼(サド)世子は10歳上で、相性が悪かったこともあり、思悼世子の失脚をはかって陰で動いた。22代王・正祖(チョンジョ)の時代になって辛うじて罪をのがれたが、1800年に正祖が亡くなったときは毒殺説の首謀者と噂されたこともあった。23代王・純祖(スンジョ)の後見人となり、キリスト教の虐殺事件を引き起こしている。

(文=康 熙奉/カン・ヒボン)

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