最終回に備えて『オクニョ』に登場する制度と王家をスッキリ解説!

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朝鮮王朝の官庁制度によると、現在の警察組織のような任務を帯びていた役所には、刑曹(ヒョンジョ/法務や刑罰を担当)、義禁府(ウィグムブ/王命に従って罪人を取り調べた)、司憲府(サホンブ/官僚の不正を糾弾したり風紀を守るために活動した)などがあった。

それとは別に、盗賊や犯罪人を捕まえるために、捜査や検挙を主な任務とした官庁が捕盗庁である。

この捕盗庁の中で、実際に現場で任務に当たっていたのは捕盗軍士(ポドグンサ)と呼ばれる人たちで、彼らは常に都を巡回していた。

捕盗軍士は腰に赤くて太い縄を付けていて、罪人を捕まえたときにはその縄でしばりあげた。このように、腰に付けた赤い縄が捕盗庁の職員であることを象徴する品だった。

次に、当時の王家の女性たちを見てみよう。

朝鮮王朝時代の夫婦制度は、一夫一婦制だった。この制度を王家もしっかり守っていて、王といえども重婚はしなかった。つまり、常に王の在位中に王妃は1人だけだったのだ。

王妃は「国母(クンモ)」と呼ばれ、朝鮮王朝の筆頭の女性だった。現在でいう「ファーストレディ」である。

一方、王妃が産んだ王子が即位すると、その時点で王の母になるので、「大妃(テビ)」と呼ばれた。

朝鮮王朝時代は儒教が国教となっており、儒教は「孝」を最高の徳目と考えたので、王族の最長老になる大妃の力は絶対だった。

王が元気に執政をしていれば、政治的に大妃の出番はなかった。

しかし、王が急死して幼い王子が即位したときには、いよいよ大妃の出番となった。王が未成年の間は、大妃が代理聴政(摂政)を行うことが多かったのだ。

こういうときに限って、政治が大いに乱れた。

なぜなら、大妃が一族の仲間を重用して側近政治で王朝を牛耳り、賄賂が横行したからである。

「大妃が実権を握ると政治が乱れる」この事実が朝鮮王朝時代の悪弊になっていた。

まさに、『オクニョ 運命の女(ひと)』で描かれた時代も、大妃となった文定(ムンジョン)王后が露骨に側近政治を行って、悪政がはびこっていた。そういう意味では、朝鮮王朝にとって不幸な時期だったのである。

(文=康 熙奉/カン・ヒボン)

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