SMエンターテインメントの総括プロデューサーを務めるイ・スマンが、BoAの日本進出に関する裏話を語った。
イ・スマンは2月1日に放送された時事番組『月刊コネクト』(tvN、原題)にゲスト出演。SMエンターテインメントを設立して数多くの人気アーティストを輩出してきた彼が、失敗した記憶もあるという。
「こんな話、心が痛いと思うけど」と口を切った彼は、「これからアジアの最大のマーケットは中国になると予想してH.O.T.(1996年にデビューした男性5人組グループ)を中国に進出させようとした。当時は日本が最も大きかったので、じゃあ日本にも行こうと思ってS.E.S.(1997年にデビューした女性3人組グループ)をデビューさせた」と、海外進出に熱を入れていた90年代末を振り返った。
「(S.E.S.を日本進出させると)目標を定めて日本語ができるメンバーも見つけた。ただ、いざ日本に行くと『ここでそんな音楽は通じない』という雰囲気だった。本来は(韓国でのデビュー曲の)『I’m your girl』でデビューさせようとしたが、日本からは『あなたはプロデュースするな。我々の音楽でやる』と言われた。しかし、それが失敗した」
心配の経験を淡々と語った彼は、「それを経験しながら我々のプロデュースや僕が思うことが正しいと身に染みて分かった。だから今度こそ自分でプロデュースしようと思い、(日本の)他の会社でBoAをデビューさせた」と説明。
「S.E.S.には申し訳ない」と残念がりながら、「そのような努力があってBoAの日本進出ができた。それまで自分で20億ウォン(約2億円)を稼いでいたが、(BoAへの)投資費用は40億ウォン(約4億円)だった。日本の会社からも投資を受けたけど、最初の1、2曲が全然ダメだったので『もうやめる』と言われ、僕がもう一度だけやろうと説得した」と裏話を明かした。
そして「BoAのような良いアーティストは10年経っても出会えないと思う。もう一度やろうと説得した曲が、日本で大ヒットした『Listen to My Heart』だった。『これが成功なのか』と思ったが、その後さらに上手くいった。あの時、失敗で終わったのではなくて本当に良かったと思う」と振り返っている。
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