オリンピックを控えて出場機会を増やすために、期限付き移籍を選択したチョン・ウヨン(20、バイエルン・ミュンヘン2軍)は、ク・ジャチョルやリュ・スンウのような成功事例に続けるだろうか。
チョン・ウヨンは去る1月29日(日本時間)、ドイツ・ブンデスリーガのフライブルクを離れ、バイエルン・ミュンヘンの2軍へと移籍した。
2018年にバイエルンに入団したチョン・ウヨンは当時、ドイツ4部リーグに所属していたバイエルン2軍の3部リーグ昇格に貢献しながら、期待の若手として注目された。しかしトップチームでの競争に遅れをとると、昨年の夏にフライブルクへ移籍した。
しかし、そこに彼の居場所はなかった。最終的にチョン・ウヨンはフライブルクで出場機会を得ることができず、古巣であるバイエルン2軍に戻るという決断を下した
チョン・ウヨンが期限付き移籍という選択をしたのは、2020東京五輪出場への強い意志が反映された結果だ。
彼は東京五輪の最終予選を兼ねたアジアサッカー連盟(AFC)U-23選手権で、唯一の欧州組として少なくない期待を受けた。しかし4試合に出場して攻撃ポイント(ゴール+アシスト)を1つもあげることができず、攻撃陣として印象的な姿を見せることができなかった。
U-23韓国代表を率いたキム・ハクボム監督は大会直後、チョン・ウヨンにメッセージを送ったりもした。
キム監督は「以前に比べて精彩を欠いていたのは事実」という率直な評価を伝えた後、「今回はプレッシャーも大きかったようだ。欧州組として何か見せつけなければならないと思い詰めていた」と伝えた。
過去には、チョン・ウヨンのように出場機会を得ることができず、困難を経験した欧州組が、オリンピックを控えて期限付き移籍を選び、評価を取り戻した例がある。
2012年ロンドン五輪を控えた冬、ヴォルフスブルクで厳しい時間を過ごしていたク・ジャチョルは、アウクスブルクへの移籍をきっかけに競技力を引き上げた。当時ク・ジャチョルは“レンタル生神話”と評価されるほど、活躍が目立った。
移籍を通じてコンディションを引き上げたク・ジャチョルは、ロンドン五輪で主将を務め、韓国の銅メダル獲得に貢献した。
その4年後には、リュ・スンウが期限付き移籍を通じて生き残った。2016年リオ五輪を控えた冬の移籍市場で、リュ・スンウはレバークーゼンを離れ、2部リーグのビーレフェルトに移籍してターニングポイントを作った。
新しいチームで出場機会が増えたリュ・スンウは、オリンピック最終メンバーとして招集され、フィジー戦では韓国サッカー史上初めてオリンピックの舞台でハットトリックを達成し、韓国の決勝トーナメント進出を導いた。
オリンピックの最終エントリーは18人で、ワールドカップやアジア大会よりも招集される選手が少ない。つまり最も競争が激しい大会といえる。
期限付き移籍という勝負手に出たチョン・ウヨンが厳しい競争を勝ち抜き、オリンピックの舞台に立つことができるか関心が集まる。
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