プライベートでは2000年7月に、5歳年上の韓国女優チェ・ジンシルと電撃入籍。チェ・ジンシルは当時のトップ女優であったため、“世紀の結婚”と呼ばれた。2001年8月には、2人の間に男の子が産まれている。
しかし、わずか1年後、チョ・ソンミンは記者会見を開いて離婚を訴えた。幸せは長く続かなかったのだ。のちに明らかになったことだが、当時2人目の子供を授かった妻チェ・ジンシルに対して、チョ・ソンミンは暴行を働いていたという。
それからの落ちぶれようは、哀れなほどだった。2002年に巨人から退団し、韓国に戻って実業家に転身するも、ほどなく経営難に。プロ野球選手として再起を宣言するが、どの球団からも相手にされなかった。
夫婦間での裁判沙汰も続き、別居中だったチェ・ジンシルの家で暴力沙汰を起して警察に連行される事件もあった。
2004年にチェ・ジンシルとの離婚が成立すると、チョ・ソンミンは韓国球界に復帰したが、さしたる成績も残せないまま、2007年にひっそりと引退した。
悲劇は続く。2008年10月、元妻チェ・ジンシルが自殺したのだ。この元妻の死がチョ・ソンミンをさらに追い詰めていく。絶大な人気を誇っていたトップ女優の自殺の一因は、DVを働いていた元夫にもあるという理由から、「チェ・ジンシルを殺したのはお前だ」と罵られるようになったのだ。
さらにかつて事業をともに展開した義弟も自殺。チョ・ソンミンは四面楚歌となった。
結局チョ・ソンミンも2013年1月に、自ら命を絶つこととなる。当時の韓国メディアは彼の死を「チョ・ソンミンを苦しめたのは“チェ・ジンシルのトラウマ”」と結論づけていた。
柳田悠岐でも及ばない、日本球界で過去最長契約を結んだチョ・ソンミンだが、その人生はあまりに短く、悲しいものだった。