50代に入っても現役でプレーする日本のサッカー選手、“キング・カズ”こと三浦知良(52・横浜FC)の情熱は誰もが認めている。
三浦は1986年にブラジルの名門サントスでプロデビューし、現在まで現役生活を続けている。日本サッカーで彼が進む道がそのまま歴史になるというほど、三浦の存在は独特だ。
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プロサッカー選手は普通、30代後半に入ると引退を考えたりもするが、彼はまだ現役から退くつもりはない。それだけにコンディション管理も徹底している。“チーム・カズ”の名のもとに、フィジカルコーチ、リハビリトレーナー、栄養士、マネージャーなどがついて彼を管理するほどだ。
三浦は1990年代、激しく戦った韓国にとって、最も警戒しなければならない選手だった。特に1993年10月、カタール・ドーハで開かれた1994年アメリカW杯最終予選の日韓戦で、決勝ゴールを決めて両方の拳をぎゅっと握り締めたシーンは、韓国サッカーの屈辱的な場面のひとつだろう。
そんな三浦が10月21日、1泊2日のスケジュールで静かに韓国を訪れた。
目的は、江原FCのキム・ビョンス監督だ。
三浦とキム・ビョンス監督に深い親交があるわけではない。縁があるとするなら、1993年のJリーグ発足当時、日本の実業チームのコスモ石油四日市FCでキム監督がプレーしていたことくらいだろう。
なんの縁もない三浦がキム監督を訪ねた背景には、三浦が大切にしている後輩・中里崇宏がいる。
三浦はプレシーズンにグアムで行う個人トレーニングに、中里をいつも連れていく。三浦は去る7月、江原FCに入団した中里を通じて、“ビョンス・ボール”と呼ばれるキム監督のサッカーに接した。
“ビョンス・ボール”とは、選手たちがポジションを大胆に変えながら、すべてのポジションで攻撃的な動きを見せるキム・ビョンス監督の独特の戦術だ。
事情をよく知るサッカー関係者によると、中里は三浦に「こんなサッカーと監督は初めて」とキム監督を紹介した。これにより江原FCの試合に興味を持った三浦がサッカー人として交流するために、韓国を訪れたのだ。
1993年以来、26年ぶりにキム監督と再会した三浦は、「その時代のキム・ビョンスのゴールシーンを覚えている。技術的に非常に優れた選手だった」とし、「江原FCは非常に興味深く、戦術的に優れたチーム」と言葉を交わしたという。
2人の交流はこれで終わりではない。中里とともに“ビョンス・ボール”に魅せられた三浦は、親善試合まで念頭に置いていた。
三浦はキム監督に「江原が受け入れれば、11月のAマッチ休息期に横浜FC(2部)との親善試合を希望する」と伝えた。
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