フース・ヒディンク監督が生涯最後の采配になるかもしれない中国五輪代表チーム監督から電撃更迭された中、彼とともに2002年ワールドカップ4強神話を成し遂げた関係者や選手はもどかしさを隠さない。
ヒディンク監督は中国サッカー協会と対立していたが、その原因として挙げられているのは、大きく3つだ。
▲普段はオランダにいて練習や実戦の時に中国に来る「在宅勤務」だったこと、▲中国プロサッカーを視察しないなど選手チェックを怠ったこと、▲中国サッカー協会や中国サッカー界の要求にも断固とした対応しなかったことなどが挙げられる。
これらは2002年と若干似ている。
当時は、このような問題のほかにヒディンク監督のパートナーであるエリザベスが海外遠征に同行したために、さらに大きな論議を呼んだ。ワールドカップ開幕を5カ月後に控え、アメリカで行われたゴールドカップ期間中に実施していた強度の高い体力トレーニングも国内のサッカー関係者から多くの指摘を受けた。
しかし、ヒディンク監督はすべての議論を跳ね返し、2002年4月から競技力を押し上げて、6月には太極戦士らとともに四強神話を書き下ろした。
中国サッカー界は短期戦に強いヒディンク監督を信じて待たなければならなかったというのが、当時の関係者および選手たちの主な見解だった。
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海千山千のヒディンク監督だけのノウハウがあるが、それをチェッできる2020年U-23アジア選手権をわずか100日後に控えた状態で下す決断ではなかったということだ。
現在は仁川ユナイテッドの戦力強化室長を務めるイ・チョンスは、「昨年にヒディンク監督が赴任したとき、中国が本当に東京五輪に行きたいという意志を示したというよりは、ヒディンクという名前でしばらく起こるさまざまな問題点をやり過ごそうとしているように見えた。2002年も本大会4カ月前には不安な点が多かった。しかし、ヒディンク監督の粘り強さで結局、良い成果を出した」と語った。
元韓国代表コーチのキム・テヨンの考えも似ていた。キム・テヨンコーチは「今月初め、中国とベトナムの親善試合を見た。個人技やプレッシングの水準、選手のプレー量でベトナムがはるかに優れていて驚いた」とし、「短期間の練習で所属チームに戻ってしまう代表チームの性格を考慮すれば、ヒディンク監督の過ちとは考えられない」と結論付けた。
ヒョン・ヨンミン解説委員も「選手がある瞬間、確信を持つようになるのがヒディンク監督のスタイルだ。 今、このように退陣させるのは時期尚早だという考えだけだ」と語った。
当時の韓国サッカー協会の関係者らは、短期トーナメントに強いヒディンク監督の成果を中国サッカー協会が見逃したのではないかと話した。
ヒディンク監督はトーナメントに強みを持つ指導者という意味だ。U-23アジア選手権が来年1月に開かれるため、12月から選手たちとチームの技量がグンと上がる可能性もあった。ヒディンク監督と親交がある有力者は、「ベトナムはU-23代表を10年近いプラン持って育てた。中国側がベトナム戦の敗北後、感情的に対応しすぎたのではないかと思う」と話している。
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