2000年代後半からアジア各国では、外国籍選手3人に加えてアジア国籍の選手1人を同時起用できる「3+1ルール」が導入されており、その影響は韓国サッカー界にも及んだ。
これまで日本のJリーグにのみ限られていた韓国人選手のアジア進出が、高い年俸を得られる他の国へと移り変わったのである。
2010年南アフリカW杯前後には、サウジアラビアやカタール、アラブ首長国連邦(UAE)のチームに移籍する選手が少なからず現れた。
【写真】今だからこそ知りたい!! 韓国人Jリーガー、あの人たちは“いま”
そして、 2010年代半ばからは習近平主席の「サッカー改革発展マスタープラン」の恩恵を受けた中国スーパーリーグの各クラブが支出を大幅に増やすと、Kリーグで活躍する選手たちが続々と大陸に進出した。
プロスポーツは資本主義市場のモデルである。契約により活用され、ときには切り捨てられる世界で、選手たちがより多くのお金を求めて移籍するのは当然だ。
しかし、全盛期を迎える選手たちがサッカーの本場である欧州ではなく、安定的な生活が保障されるアジアでプレーすることが、韓国サッカー界のプラスとなるかは疑問が残った。
南アフリカW杯以後、韓国代表はW杯で2大会連続グループリーグ敗退に終わっている。ソン・フンミンを除けば、個人技や戦術理解度でヨーロッパや南米、アフリカの選手と肩を並べる選手が見られないのも事実であった。
韓国代表のチーム内の雰囲気もそれに一役買った。中東への移籍ラッシュが続いたときには、代表に選ばれた選手の間で「サウジアラビアやカタールに行けばお金を得られる」「(欧州組の)あの選手よりも多く金を稼いだ」という話があふれた。
中国のプロサッカー市場が成長した今ではその話題も鳴りを潜めたが、ファンの間では今でも有名な話だ。
だからこそ、最近の韓国代表を中心に起こっている変化に嬉しく思う。
ソン・フンミンがトッテナムで韓国サッカー界の地位を高めている中、彼と同じ1992年生まれの選手たちが、高額年俸を断りヨーロッパへと渡った。
イ・ジェソンは昨年、ドイツ2部リーグのホルシュタイン・キールへと移籍したが、決心さえすれば中国で多額の金を手にできただろう。ファン・ウィジョがアジアはもちろんアメリカのMLS移籍にも首を縦に振らず、フランスに行った例も韓国サッカー界の変化を意味する。
ペク・スンホ、イ・スンウ、イ・ガンインなど、スペインでユース時代を過ごした「ヤングガン3銃士」がヨーロッパで挑戦を続けていることも、称賛されて良いだろう。イ・スンウとペク・スンホはバルサ出身という肩書を忘れ、イ・ガンインもU-20W杯MVPの余韻に浸ることなく挑戦するとなれば、応援する他にない。
2002年の日韓W杯で「4強神話」を成して、パク・チソンやイ・ヨンピョ、ソン・ジョングク、イ・チョンスなどの若手たちが兵役免除の恩恵を受けたとき、サッカー界は歓喜に沸いた。彼らがヨーロッパに進出し、さらなる成長を遂げられたからだ。
その後、兵役免除の恩恵を受けた選手が中東や中国移籍に移籍したケースもあるが、今は新しい風が吹き始めている。白紙状態から、新たに欧州へと飛び込む選手たちの挑戦がほほえましい。
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