ソウル広場で会った彼は「まだ市内を歩いておらず、実感がわかない」と話した。チョン・ジョンヨン監督だ。
子供の日の5月5日、若い韓国代表選手たちとともに、静かにポーランドに向かったそのサッカー指導者は、1カ月半が過ぎると、サッカーを超え、韓国社会に新たなリーダーシップを示した人物として戻ってきた。
「批判と非難は選手ではなく、私にしてほしい」という言葉が与えた影響は大きい。チョン監督とU-20韓国代表の選手たちが行った7試合は、単純なサッカーの試合ではなかった。停滞する韓国社会に、力強い活力を与えた希望そのものだった。
『スポーツソウル』は韓国スポーツ紙で唯一、1カ月近くU-20韓国代表のトレーニングとU-20ワールドカップ全試合を取材し、読者に伝えた。ポーランドに向かうときも注目されなかった彼らは、どうやって韓国国民の関心と愛情を一身に集めたのかを毎日、紙面とオンラインを通じて伝えた。読者の反応も熱かった。
取材の中心には、いつもチョン監督がいた。出国直前やポーランド現地でチョン監督を独占取材した内容のうち、まだ紹介していなかった部分を再構成して、知られざるエピソードを公開する。
そこには、チームのリーダーとしての、ひとりの男としての彼の苦悩と思いが深く刻み込まれている。
事実、U-20韓国代表のスタートは順風満帆ではなかった。5月25日、ポルトガルとのグループリーグ初戦で、前半7分に失点したのだ。それからしばらくしてさらにゴールを許したが、オフサイドの判定を受けて追加の失点は免れた。後半に韓国は競技力を発揮し、スコアを維持しながら0-1で敗れた。
チョン監督は「失点してメンタルが崩壊しかけたが、すぐに我に返った。できるという自信があったから」と説明した。彼は「率直に言って失点するまでGKイ・グァンヨンがボールを一度も触らないほど、試合を支配していた。だから崩れるとは少しも考えなかった」と振り返った。
チョン監督は大会直前、ポーランド現地でエクアドルと練習試合を行った。イ・ガンインのゴールによって1-0で勝ったのだが、結果以上に内容が良かった。チョン監督は「私たちが準備した5-3-2フォーメーションに選手たちがよく溶け込んだという判断ができた。最初にゴールを許した後も、この峠を越えれば良くなると思った」と話した。
彼の言葉通り、韓国はポルトガル戦よりも第2戦の南アフリカ戦、南アフリカ戦よりも第3戦のアルゼンチン戦で、パフォーマンスを上げた。一歩一歩、快挙達成に近づいていった。
南アフリカとの第2戦を1-0で勝ち、F組2位になると、B組2位の日本と16強戦で対戦することになるのではないかという見通しが出た。韓国はアルゼンチン戦まで2-1で勝利し、16強での日韓戦を実現させた。
チョン監督は日本に勝った後、「私は日本ではなく、他のチームを考えていたのだが…」と告白した。そのチームとは、決勝で対戦することになったウクライナだった。チョン監督は「率直に言えばF組を2位通過できると予想していなかった。3位で16強に進出すると考えていたが、ウクライナと対戦する確率が高く、そのチームを迎え撃つという考えをした」と述べた。
U-20韓国代表は去る3月のスペイン合宿時、ウクライナと練習試合を行った。結果は0-1で敗れた。しかし韓国にはイ・ガンイン(所属チームの選出反対)をはじめ、チョ・ヨンウクやチョン・セジン(U-23アジア選手権予選参加)などが、スペイン合宿に参加できず、戦力が半減した状態だった。
ウクライナはU-20ワールドカップのメンバーの大半が、その練習試合に出場した。チョン監督は「相手の戦術が単純だったので、ウクライナを望んだ」と話した。運命とは妙なものだ。両チームは決勝で対戦し、優勝と準優勝を分け合った。
宿命の日韓戦を翌日に控え、チョン監督はある人のことを考えていた。