「韓国人として誇らしいことでしょう」
“韓国サッカーの英雄”チャ・ボムグン監督は、ソン・フンミン(トッテナム)を微笑ましく見つめている。
今シーズン所属チームの日程で、UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦のみを残したソン・フンミンは5月29日現在、欧州の舞台で通算116得点(2部リーグの1得点を除く)を記録した。チャ監督が持つ韓国人の欧州最多得点(121得点)に、残り5ゴールと迫っている。次のシーズンには、歴代最高記録を更新する可能性が高い。
ソウルの自宅で会ったチャ監督は「記録は破られるもの」と喜んだ。「若いフンミンが頑張って、年老いた私にいろんな人から声がかかるのだから感謝だ」と誇らしげだった。
チャ監督はソン・フンミンの成長を誰よりも注意深く見守ってきた。お互いドイツの舞台を土台にした選手だからだ。チャ監督は1980年代、ドイツ・ブンデスリーガが欧州サッカーの代表格だった時代に、フランクフルトとレバークーゼンの中心選手として活躍した。
東北(トンブク)高校を中退してドイツに発ったソン・フンミンも、やはりブンデスリーガのハンブルガーを経てレバークーゼンで活躍し、ワールドクラスの選手に大きく成長した。そしてイングランドへと渡り、全盛期を迎えた。トッテナムの看板スターとして定着し、韓国を“ソン・フンミンの国”にした。
今シーズン、ソン・フンミンの試合を見たチャ監督は、「成熟した」という印象を受けたという。特にタイトルがかかった大きな試合に臨む姿から、以前とは異なる印象を受けた。
「レバークーゼンでトレーニングを受けながら、たくさん成長したようだ。ヨーロッパの人々は今、“ソン”といえばハリー・ケイン、クリスティアン・エリクセン、デレ・アリと同じくチーム内の最高クラスの選手であると考えている。兵役問題まで解決し、より大きな選手になるための最高の条件を確保した」
主軸選手の中でも、チームを率いるリーダー格の選手に成長したという評価だ。
「チームの主要選手のなかでも、結果に責任を持つグループがある。そのグループに入るためには、困難な状況でも自らの力で解決することができなければならない。単に機会が来てからフィニッシュするだけでは不十分だ。
白紙の状態から自らチャンスを作り、最後まで仕上げることができてこそ、認められる。無から有を作り出す選手だ。以前のフンミンが訪れたチャンスを逃さない選手だったとしたら、今は決定的な瞬間に試合を決められるほどの選手に成長した」
チャ監督は、4月9日に行われたマンチェスター・シティとのチャンピオンズリーグ準々決勝・第1戦を例に挙げた。アウトになるようなボールをソン・フンミンは最後まで追いかけて生かし、相手DFを抜いて強烈な左足シュートでゴールを奪った。トッテナムはそのゴールで勢いに乗り、1-0で勝利した。
欧州トップクラブの栄誉は、誰にでも訪れるものではない。チャンピオンズリーグ決勝が「夢の舞台」と呼ばれる理由だ。チャ監督は、欧州トップの栄光を2度も享受した。1980年にフランクフルト所属でUEFAカップ優勝に貢献し、1988年には移籍したレバークーゼンで同大会のチャンピオンに輝いた。
現在のチャンピオンズリーグの前身であるヨーロピアン・カップは、各国の優勝チームだけが出場したため、むしろ競争が激しくなかった。ビッグリーグの場合、2~5位のチームがいっせいに出場したUEFAカップのほうがさらに激しい試合が繰り広げられた。UEFAカップで2度の優勝を果たしたチャ監督が大きな誇りを持つ理由だ。彼は「今のチャンピオンズリーグは、当時のヨーロピアン・カップとUEFAカップを合わせたようなものだ」とした。
当時を振り返ったチャ監督は、「最初はあの大会がこれほど大きな大会であることを知らなかった。私には未知の世界であることを実感することができなかった。恐れることなくプレーした」と笑った。
【独占取材】韓国人CL初出場・初ゴールのソル・ギヒョン、ソン・フンミンを語る
本当の重みを感じたのは1988年、2度目の優勝を果たした後だ。
「もう一度優勝した後に、どれだけ難しいことかということに気づいた。ドイツでも2度優勝を経験した選手は珍しかったよ。生涯サッカーをして、1度あるかないかのことだった。レバークーゼンは第1戦に敗れ、第2戦をPK戦の末に勝った。
今回のチャンピオンズリーグでも劇的な勝負がたくさんあった。それを見ながら昔を思い出した。サッカーがどれだけ面白いスポーツかということを改めて感じた」
トッテナムの決勝の相手リバプールは、“名将”ユルゲン・クロップ監督のもとで上昇気流に乗った。