「3年前に会ったのが最後になるとは…そのときの曇った目つきがまだ記憶に残っている」
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11月26日(日本時間)、ディエゴ・マラドーナさんがアルゼンチンのブエノスアイレス郊外の自宅で死去した。60歳だった。
マラドーナさん死去が報じられた同じ日、韓国では大多数のメディアが大田(テジョン)ハナシチズン理事長のホ・ジョンム氏(65)に電話を掛けていた。
というのも、韓国ではマラドーナさんの話が出るたび、真っ先に名前が挙がるサッカー人がホ・ジョンム氏だったからだ。
彼は本紙『スポーツソウル』との電話インタビューに応じ、マラドーナさんの死を惜しみつつ、過去のエピソードを語ってくれた。
ホ・ジョンム氏とマラドーナさんの初めての縁は、去る1986年に開催されたメキシコW杯にまでさかのぼる。
当時、サッカー韓国代表は1954年スイス大会以来、32年ぶり2度目となる本大会進出を果たした。そして、グループステージ初戦でマラドーナさんら擁するアルゼンチン代表と激突した。
この試合に出場したホ・ジョンム氏には、とあるミッションが与えられていた。それはマラドーナさんへの徹底マークだ。
試合は結局1-3で韓国が敗れたが、ホ・ジョンム氏は苛烈な守備でマラドーナさんを苦しめた。彼の動きを制御すべく、ときに激しいタックルも見舞っていた。
それから9年後の1995年、ホ・ジョンム氏とマラドーナさんは韓国で再会した。マラドーナさん所属のボカ・ジュニアーズが韓国代表と親善試合を行うために訪韓したのだ。当時、がっちりと手を組んだ記念写真も撮影していた。
さらに歳月が過ぎ、2人はそれぞれ母国代表を率いる監督として、2010年南アフリカW杯で再び激突した。
韓国は同大会、国外開催のワールドカップで史上初めて決勝トーナメント進出に成功したが、グループステージのアルゼンチン戦では1-4の大敗を喫していた。
ホ・ジョンム氏とマラドーナさんは試合中、お互いに向き合って舌戦を繰り広げるなど、また別のストーリーも残していた。
そして、2人が最後に会ったのが、2017年に韓国で行われたU-20ワールドカップのグループステージ抽選会だ。
抽選の結果、韓国とアルゼンチンはまたも同グループに入った。ただ、本大会では直接対決を2-1で制した韓国が決勝トーナメントに進出。敗れたアルゼンチンはグループステージで敗退となっていた。
ホ・ジョンム氏は3年前の記憶をたどり、「当時も実際、(マラドーナさんが)精神面や肉体面の管理をできていないと感じていた。久しぶりに会えて嬉しかったが、正常にコミュニケーションできず、目つきもやや曇っているようだった」と話した。
続けて、「当時は薬物服用のスキャンダルが起こっていたが、(状態が良くないという)感じを受けた」と付け加えた。
マラドーナさんの死去後、アルゼンチン国内のメディアは1986年メキシコW杯の優勝にスポットライトを当てた。そして、韓国戦で繰り広げられたのホ・ジョンム氏とマラドーナさんのマッチアップにも触れていた。
ホ・ジョンム氏は「選手としては、私がホタルならマラドーナは太陽だったと思う。技量の差は明らかだった」とし、「ただ、マラドーナは我々との対戦時に一番苦しんでいたようだった。ほかの試合ではほぼワンマンショーに近かったんじゃないか」と振り返った。
マラドーナさんのサッカースタイルについて、“トレンドを先取りした真の天才”とホ・ジョンム氏は定義づける。
「マラドーナは感覚、視野、身体的な特殊性を生まれつき兼ね備えた選手だった。ドリブル時は常にボールが身体から30センチ以上離れず、相手の重心の崩れを逆に利用する技術に長けていた」
また、メキシコW杯準々決勝イングランド戦で披露した伝説の5人抜きゴールを代表例に挙げ、次のように続けた。
「背は低いが、体つきはウエストがほとんどないほどにしっかりしていて、生ゴムのような弾力があった。そのため、体格の大きいイングランドのDFも彼に手を付けられなかった。マラドーナはピッチを俯瞰しつつ、自分の長所をうまく発揮した選手だった」
ホ・ジョンム氏は、自身のサッカー人生に少なくない影響を与えたマラドーナさんとの別れを「哀悼の念が大きい」と悲しんだ。
そして最後に、「60歳とまだ若いのに気の毒だ。マラドーナを世界最高の選手として、心の中で常に尊敬の気持ちを抱いていた。これからも長く記憶に残っていくだろう」という言葉を伝えた。
(構成=姜 亨起)
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