かつて日本で活躍した“韓国人Jリーガー”は、今どこで何をしているのだろうか。
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1993年のJリーグ開幕以降、日本では多くの韓国人選手がプレーしてきた。2008年にアジア枠が設けられてからはその数もさらに増加。その系譜は今も続いているが、気になるのは“彼らのその後”だ。
日本にまでは伝わってこない引退した韓国人Jリーガーたちはその後どうしているのだろうか。
調べてみると、Kリーグで監督やコーチを務める者もいれば、芸能化に進出した者、さらには現役時代からは想像もできない新たな道に進む者もいて興味深い。
今回は、日韓の両クラブで得点を量産したストライカー、キム・ドフンの現在を紹介しよう。
まだヴィッセル神戸のユニホームカラーが白と黒の縦じまだったころ、チームに“爆撃機”と呼ばれた1人の韓国人選手がいたことをご存じだろうか。
彼の名はキム・ドフン。1998年、Kリーグの全北ダイノス(現・全北現代モータース)から期限付き移籍で神戸に加入し、2シーズン通算58試合27得点を記録したストライカーである。
派手さこそ無かったが、フィジカルを活かしたポストプレーやどんな状況でもシュートまで持ち込む強引さから、“爆撃機”と呼ばれていた。
神戸退団後もキム・ドフンは変わらず得点を量産した。2000年から3シーズン所属した全北現代では92試合40ゴール、2003年から3シーズン過ごした城南一和(現・城南FC)では104試合51ゴールを記録。この間、得点王にも2度選ばれている。
そして彼は2005年シーズンを最後に現役引退を発表。翌年、選手時代の晩年を過ごした城南一和のコーチに就任し、指導者への道を歩み始める。
城南一和には2012年まで務めると、2013年に江原FC、2014年にU-20韓国代表とチームを転々とする。そして、2015年1月に仁川ユナイテッドFCとの監督契約に合意。監督業への第一歩を踏み出す。
仁川では2015年シーズンこそFAカップ準優勝を果たした。だが、翌年は開幕11試合未勝利という低調な戦いぶりで降格圏に沈み、2016年8月末に成績不振を理由に監督を解任されてしまった。
その後、キム・ドフンは2017年に蔚山現代FCの監督に就任。“名門復活”の期待を背負った彼は初年度こそFAカップで優勝したが、未だリーグ優勝を果たせていない。
それどころか、同じヒュンダイ(現代)グループでライバルの全北現代に3年連続で優勝トロフィーを掲げられるという屈辱を味わった。
キム・ドフン体制4年目となる2020年シーズン、蔚山現代は順調な戦いぶりを見せている。第10節終了時点で7勝2分1敗の2位。首位こそ全北現代に明け渡しているものの、勝ち点差はわずかに1だ。
何よりデータ面での圧倒ぶりが際立つ。総得点はリーグトップの23得点で、失点数も2番目に少ない7失点。得点ランキング、アシストランキング、各試合MVP獲得数のどれも蔚山現代の選手が単独でトップに立っている。
ただ、蔚山現代は2005年シーズンを最後にKリーグ優勝がない。準優勝がリーグ最多8回という不名誉な記録ばかり目立つ。
今年で監督歴6年目となるキム・ドフンも、未だ監督としてリーグ優勝の経験はない。
それだけに、今季こそは結果を手にしておきたい。現役時代はゴールこそが存在証明だったように、監督となった今はタイトルがすべてなのだから。
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