【あの人は今】サガン鳥栖の“永遠の10番”キム・ミヌが母国で名門復活を担う

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かつて日本で活躍した“韓国人Jリーガー”は、今どこで何をしているのだろうか。

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1993年のJリーグ開幕以降、日本では多くの韓国人選手がプレーしてきた。2008年にアジア枠が設けられてからはその数もさらに増加。その系譜は今も続いているが、気になるのは“彼らのその後”だ。

特に、Kリーグでは多くのクラブでJリーグ経験者が今もプレーを続けている。日本を離れたあとの活躍ぶりが気になる日本のサッカーファンは多いはずだ。

今回は、サガン鳥栖史上初のJ1昇格に貢献し、キャプテンとしても活躍したキム・ミヌの現在を紹介しよう。

古巣からのラブコールも韓国残留を決めたキム・ミヌ

キム・ミヌのプロサッカー選手としてのキャリアは、Jリーグのサガン鳥栖で育まれたと言っても過言ではないだろう。

韓国大学サッカー界の名門・延世(ヨンセ)大学在学中に2009年U-20ワールドカップで活躍したあと、大学を中退して鳴り物入りでサガン鳥栖に入団。2010年にJリーグでプロデビューしたあと、2016年に退団するまで“鳥栖一筋”を貫いたのだ。

サガン鳥栖は2011年にJ1昇格、2012年には5位躍進したが、それを支えたひとりがキム・ミヌだった。

2016年からはキャプテンとしてチームをけん引し、サポーターからは「永遠の10番」「鳥栖の心臓」とも呼ばれた。

ただ、その活躍の裏側では人知れず涙を流したこともあったという。キム・ミヌは以前、本紙『スポーツソウル』とのインタビューでデビュー当時をこう振り返っている。

「日本進出初年度は本当に大変な時間だった。言葉は通じなかったし、甲状腺機能亢進症のため身体もついていかなかった。一人で涙を流したこともある。そのときは本当にサッカーをやめることまで考えた」

それでもチームメイトたち助けを受けながら日本語を学び、チームに溶け込み、Jリーグに適応した。

鳥栖時代からのチームメイトであるチェ・ソングンも「本当に学ぶべき点が多いヒョン(韓国語で“兄”という意味)だ。ピッチの内外でいつもベストを尽くす姿を日本のファンも良く知っているだろう」と彼の人格者ぶりを称える。

2016年10月、兵役義務遂行のため惜しまれつつも鳥栖を退団したが、Jリーグでは7シーズン通して通算213試合(J1で161試合、J2で52試合)に出場したその活躍は今も色あせない。

韓国に戻ってからもキム・ミヌは着実に結果を残している。

水原三星(スウォン・サムスン)でKリーグ・デビューした2017年シーズンは30試合に出場し、6ゴール5アシストを記録した。

2018年から2019年9月までは兵役義務を消化するために、国軍体育部隊の尚州尚武(サンジュ・サンム)に所属したが、尚州尚武でも2シーズン通算56試合4ゴール3アシストと活躍。2年目にはキャプテンも務めた。

そして2019年10月から水原三星に復帰。鳥栖時代と同じ背番号“10番”を背負い、チームの中心的役割を担っている。

そんなキム・ミヌのもとに2019年末、サガン鳥栖から復帰のラブコールがあったとも言われているが、彼は水原三星と再び契約することを決断する。

「サッカーにおける10番の意味は他とは違う。プレッシャーに感じる部分もあるが、スタジアムでその背番号につけるにふさわしい実力を証明しなければならない。今シーズンもトロフィーを掲げ、水原三星がかつての名声を取り戻せるように貢献する。それが水原三星に残った理由だ」

キム・ミヌ(写真は2019シーズン)

2020シーズン、水原三星は新型コロナによる中断以前のアジア・チャンピオンズリーグで2連敗。5月上旬に開幕したリーグでも、3試合を終えて1勝2敗と苦しい状況にある。

若くしてJリーグの門を叩き、そこで鍛えられながら大きく成長したキム・ミヌも今年で30歳を迎えた。今度は母国Kリーグで名門復活をリードする“永遠の10番”になる番だ。

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