母親は端宗を生んで3日目に亡くなり、1452年に父・文宗(ムンジョン)が没すると、11歳の幼さで国王となった。
朝鮮王朝時代、未成年が王位を継承した場合、朝廷で一番序列の高い王妃や側室などの女性が代理政治を行うことが多い。しかし端宗が即位した当時は、彼の祖母も母も妻もおらず、代理政治のできない状況だった。
そのため王権は弱体化。すると叔父にあたる首陽(スヤン)大君(『不滅の恋人』のイ・ガン)が幼い王を補佐するという名目で政権を握った。次々と重臣らを幽閉する首陽大君に命の危機を感じた端宗は、叔父に王位を明け渡すことになった。
しかしその後も端宗に平和は訪れない。端宗派の家臣たちが反乱を起すと、図らずも謀反のみこしとなった端宗は1457年6月に、ただの王族に格下げされる。同じように同年9月に端宗の復位計画が発覚し、彼はついに庶民の地位にまで落とされることとなった。
そして同年10月、配流先の寧越(ヨンウォル)で死を強要され、16歳の短い生涯を終えることになる。まさに“悲運の王”といえるだろう。
現在の国王に反逆したことになる端宗の遺体は担い手がいなかった。
もし関われば、その者も罪を問われることになるだろう。そのとき、寧越の役人だった厳興道が命をかけて葬儀を行ったのだ。厳興道はその後、身を隠しながら生きたという。
厳興道は生没年も定かではないが、端宗が死んだ年から300年近くがすぎた1733年、彼の忠節は公式に認めれる。
厳興道の子孫に、官府から発行された文書「完文(ワンムン)」が届けられるのだ。
横205cm、縦37.4cmの完文には、厳興道の子孫の軍役と雑役を免除するという内容が盛り込まれている。300年が過ぎて、厳興道の忠義が称えられたわけだ。
そして今回、その完文や厳興道の手紙が韓国国立中央図書館に寄託されたのだった。
日本で『不滅の恋人』が放送されている時期に、その史実に関係する古文書のニュースが報じられるとは何とも奇縁を感じるが、そんなところも韓国時代劇の魅力といえるかもしれない。
いずれにしても『不滅の恋人』はクライマックスに近づいている。今夜の放送を楽しみたい。
(文=慎 武宏)